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津地方裁判所 昭和28年(ワ)98号 判決 1956年10月29日

原告 保田禮

被告 三金興業株式会社 外一名

主文

被告三金興業株式会社は原告に対し金一万二千八百二十八円及びこれに対する昭和二十八年六月二十日以降右支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

被告糟谷集次は原告に対し金五千円及びこれに対する昭和二十八年六月二十日以降右支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用中、原告と被告三金興業株式会社間に生じた部分については、その五分の四を原告の負担とし、その余を同被告会社の負担とする。原告と被告糟谷集次との間に生じた部分については金六百五十円を原告の負担としその余を被告糟谷集次の負担とする。

この判決は原告勝訴の部分に限り、被告三金興業株式会社に対しては金四千円、被告糟谷集次に対しては金二千円の担保を供するときは仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、請求の趣旨として、

一、被告三金興業株式会社は原告に対し金三十三万七千二百五円及びこれに対する本件訴状送達の翌日より右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、被告等は連帯して原告に対し金十万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日より右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三、訴訟費用は被告等の負担とする。

との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、

その請求の原因として(以下要旨を記載するに止める)

一、原告の亡夫山田初三郎は大正十五年中、三重県阿山郡島ケ原村から、同村四ツ辻地内に存する同村々有山林数筆合計十五町四反七畝二歩の内十四町六反六畝二十歩において粘土を採取する権利を得ていたので、昭和四年、三重県阿山郡島ケ原村、町、五千八百二十五番地の家屋(原告現住の家屋)を訴外小川泰一から賃借し、同所において「山田鉱業所」なる商号を用いて、右山林から粘土を採取しこれを販売する事業を経営していたが、同人は昭和九年九月死亡したので、原告がその事業を継承し、昭和九年十二月十六日改めて島ケ原村との間に、原告が前記山林十四町六反六畝二十歩において粘土を採取することを得る旨の契約を締結し、爾来原告自らの事業として右山林より粘土を採取しこれを販売して来た。

二、その後原告は昭和十三年三月三十日に至り、被告三金興業株式会社(以下被告会社と略称する)に対し右山林における粘土採取権を代金一万二千円にて売渡し、且つ被告会社に対し原告が従来「山田鉱業所」の店舗として使用していた原告現住の家屋の一部を使用することを許容した。よつて被告会社は昭和十三年四月一日より右店舗に「三金興業株式会社島ケ原鉱業所」なる看板を掲げ、右山林において粘土を採取する事業を開始したので、原告は同日より被告会社に同鉱業所主任として雇傭せられることになり、右山林における粘土の採取、搬出の事務を担任し、又昭和十七年よりは被告会社経営にかかる三重県上野市三軒家タタラ山における粘土採取搬出事業並びに国鉄島ケ原駅前に存在する被告会社経営の粘土乾燥粉砕工場(三金興業株式会社島ケ原第一工場)の経営をも担当して来た。

然るところ、被告会社は昭和二十五年七月に至り、右島ケ原村における事業一切を廃止したが、その当時における原告の給料は一カ月金四千三百円であつた。

三、被告会社に対する土地使用料請求の件。

(イ)  原告は前記四ツ辻山の粘土採取現場の山麓にある通称滝の尻から三重県道月ケ瀬道に至る間に粘土搬出専用道路幅約三間、延長三十間を所有していたが、原告は右山林の粘土採取権を被告会社に譲渡した後間もなく、被告会社に対し、右道路使用に対し相当の使用料を徴収する旨申出で被告会社の承認を得た。

(ロ)  右四ツ辻山は以前から砂防施行地区に指定せられていたが、昭和十六年二月、当時の砂防行政官庁であつた内務省から、被告会社に対し、右地内において粘土を採取することの条件として、右山林附近に砂防用堰堤並びに排水溝を新設すべきことを命ぜられたので、原告は自己の出捐を以つて島ケ原村愛宕講仲間(福永久次郎外数名)より同村四ツ辻、通称滝の尻八千六百七十番水田(現在の公簿上の名義人は川森千代次)の内約二畝歩を買入れ、これを被告会社に使用させ、被告会社をして右地上に堰堤並びに排水溝を設置せしめたのであるが、右堰堤並び排水溝の敷地の使用についても当初から被告会社に対し相当の使用料の支払を受けたき旨申入れ、被告会社よりその承諾を得ていたものである。

(ハ)  而して被告会社は右粘土搬出専用道路を昭和十三年四月より昭和二十五年六月まで十二年三カ月間、右堰堤並びに排水溝の敷地は昭和十六年四月から昭和二十八年六月(本訴提起当時)まで十二年三カ月間、いずれもこれを使用して来たから、右使用料額については当事者間に協定は成立していなかつたけれども、現在においてこれを算定するときは、右期間中の右両土地に対する使用料は金十五万円を以つて相当と思料するにより、被告会社に対し右金十五万円の支払を請求する。

四、被告会社に対する退職金請求の件。

原告は前記の如く昭和十三年四月一日より被告会社島ケ原鉱業所の主任として、被告会社の粘土採取、粘土乾燥、粉砕、輸送等一切の事業を担当し、昭和二十五年七月被告会社の右事業が廃止せられるまでこれを継続して来た。その間原告は昭和十八年四月頃、被告会社島ケ原鉱業所の監督責任者であつた訴外村沢章平に対し退職を申出でたこともあつたが、同人より原告の余生については必ず被告会社において面倒を見るから退職を思い止まられたい旨慰留せられたので、原告もこれを諒として引続き被告会社の為に働いて来たものである。又昭和二十二年右四ツ辻山の粘土採取権の期間が満了した際には、原告は島ケ原村役場当局と種々折衝して、右採取権をその後二十カ年間、その代償金三万円という破格の好条件にて更新せしめることに成功した。かような好条件で右採取権の更新ができたのは、被告会社代表者糟谷集次が、島ケ村当局に対し、右四ツ辻山における粘土採取事業は被告会社のためというよりは寧ろ原告自身の生活のために必要であると申出で、村当局もこれを諒とし、原告の余生を安楽に過ごさせるためという趣旨で特に破格の金三万円の代償で右更新契約に応じてくれたからである。

斯様な経過によつて被告会社が右粘土採取権を取得した関係もあり、又原告が長年被告会社のために働いて来た功績もあつたので、被告会社は昭和二十五年七月右島ケ原鉱業所を閉鎖した際にも、原告を一片の辞令を以つて解雇するに忍びず、昭和二十六年十一月二十九日被告会社代表者糟谷集次が原告を訪れ、原告に対して辞職を要求すると共に、原告に対し金十四万四千円の退職金を支払うこと、但しその支払方法として、被告会社の有する前記島ケ原第一工場を訴外土佐初枝に昭和二十六年九月から昭和二十九年八月まで賃料一カ月金一万円にて賃貸し、原告を右土佐初枝の相談役に推薦し、同人をして右賃貸借期間中原告に毎月金四千円ずつ、相談役謝礼金名義を以つて支払わせるから、これを以つて右退職金の支払に代えて貰いたい旨の申出があつたので、原告もこれを諒承し、同日土佐初枝と一ケ月金四千円の報酬を以つて同人の相談役に就任する旨の契約を締結し、これと同時に被告会社を退職した。

然るに土佐初枝は原告に只一回金四千円を支払つたのみで、その後は右相談役謝礼金の支払をなさず、又これを支払う意思もないことを言明した。而も土佐初枝は原告と右相談役謝礼金支払の契約をする以前に既に右工場を訴外中道精一に転貸していて、原告と右契約を締結する際には何等右工場を経営する実権を有していなかつたのである。又被告会社も昭和二十八年四月十七日右工場に存在する機械器具一切を訴外福永久次郎に売却して仕舞つた。

斯くの如く原告と土佐初枝との間の相談役謝礼金支払に関する契約が不履行に終つた以上、被告会社は当然原告に対し前記退職金十四万四千円より原告が既に土佐初枝より受領した金四千円を控除した残金十四万円を支払うべき義務があるものといわなければならない。尤も原告と被告会社との間に、土佐初枝が原告に相談役謝礼金を支払わない場合には被告会社においてこれを支払う旨の特約はなされなかつたけれども土佐初枝は被告会社に代つて原告に相談役謝礼金名義を以つて退職金相当の金員を支払うこととなつたのであるから、同人がこれを支払わない以上、被告会社が自ら右退職金を支払うことを要するのは当然のことである。

よつて原告は被告会社に対し、退職金十四万円の支払を本訴において請求するものである。

五、立替金並びにモートル附属品代金請求の件。

(イ)  被告会社は昭和十四年三月三日訴外中村由兵衛から同人所有の三重県阿山郡島ケ原村広垣内五千八百六十五番の一宅地二十六坪外三筆の土地実測面積二百八十六坪を被告会社の島ケ原第一工場の粘土置場に使用する目的にて、地代は一カ月実測一坪につき、島ケ原村産四等合格以上の品質を有する玄米二升の時価に相当する金額とし、これを毎年十二月中に支払うべき約定の下に賃借したところ、(その後昭和二十二年に至り中村由兵衛は右土地の内三筆を同人の娘竹上鈴子に譲渡したが、被告会社においては依然として賃料を中村由兵衛に支払つていた)被告会社は昭和二十五年七月島ケ原鉱業所における事業を廃止すると共に右賃料の支払を停止したので、原告は右賃借権を維持するために

(1)  昭和二十六年四月十九日、昭和二十六年度分賃料として金一千円

(2)  昭和二十六年十月二十日、昭和二十七年度分賃料として金一千円

(3)  昭和二十七年十二月二日、昭和二十八年度分賃料として金一千五百円

を中村由兵衛に支払つた。

然るところ、被告会社は昭和二十八年四月十八日、中村由兵衛と右賃貸借契約を合意解除したので、中村由兵衛は原告に対し右昭和二十八年度分賃料一千五百円を返還した。

よつて原告は被告会社に対し、右賃料立替金二千円の返還請求債権を有するから、本訴においてこれが支払を請求する。

(ロ)  被告会社は原告現住家屋の一部である右島ケ原鉱業所事務所に、島ケ原郵便局電話十三番を設置したが、被告会社は昭和二十六年十二月分以降の電話料の支払をなさなかつたので、原告は被告会社のため右電話加入権を維持するため、

(1)  昭和二十七年一月十一日、昭和二十六年十二月分電話料金八百四十五円

(2)  昭和二十七年二月十九日、同年一月分電話料金九百三十九円

(3)  同年三月二十日、同年二月分電話料金七百七十二円

(4)  同年四月二十一日、同年三月分電話料金七百七円

(5)  同年五月二十日、同年四月分電話料金七百十四円

(6)  同年六月二十日、同年五月分電話料金七百七円

(7)  同年七月二十一日、同年六月分電話料金七百円

(8)  同年八月二十七日、同年七月分電話料金七百円

(9)  同年十月三十一日、同年九月分電話料金七百二十一円を被告会社のために立替支払つた。

よつて被告会社に対し右電話料立替金合計金六千八百五円の返還を請求する。

(ハ)  原告は昭和二十六年十二月十日、被告会社に対し原告所有のモートル附属品四個を代金二千四百円で売渡し、代金は直ちに支払を受ける約であつたところ、被告会社は今猶これが支払をなさないから、被告会社に対し右金二千四百円の支払を求める。

六、店舗使用妨害による損害賠償請求の件。

被告会社は前記の如く原告現住家屋の店舗二坪五合に同会社島ケ原鉱業所の事務所を設置していたが、同会社が、島ケ原村において事業経営中は、原告に対し右店舗使用料として実費を支払つていたけれども、昭和二十五年七月右事業を廃止し事務所を閉鎖した後はその支払をなさない。それにもかかわらず被告会社は今猶右事務所に被告会社の看板を掲げ、電話室を設け、或は被告会社の姉妹会社である東亜窯業株式会社の企業許可書の額を掲げ、原告よりこれが撤去を請求してもこれに応ぜず、却つて原告に対し被告会社の許諾なくして右物件を撤去することを禁ずる旨申渡した。よつて原告は右店舗を使用し、或は第三者に賃貸することを妨げられ、これがため、昭和二十六年十二月一日より右店舗を他に賃貸して得べかりし一カ月金二千円の割合による賃料相当の利益を喪失した。

よつて被告会社に対し、昭和二十六年十二月一日より本訴提起の前月である昭和二十八年五月末日までの間の一カ月金二千円の割合による損害金三万六千円の損害賠償を請求する。

七、慰藉料請求の件。

被告会社の代表取締投であつた被告糟谷集次は昭和二十六年十一月二十八日被告会社の社用にて原告方へ来た際、原告に退職を強要し、原告をしてこれを承諾せしめる手段として、原告の居室において種々猥褻な行為をなし、原告を姦淫しようとしたが、原告の抗拒にあつてその目的を遂げなかつた。これは原告の貞操に対する重大な侵害行為であり、又右行為は被告会社の業務執行に関してなされた行為である。よつて原告は被告糟谷集次、及び民法第七百十五条により被告会社に対し、連帯して慰藉料金十万円の支払を請求する。

なお、原告は明治二十三年九月二日生れの婦人にして岡山県津山高等女学校四年中退の学歴を有するものであり、被告糟谷集次は数十年間粘土販売業を営み数百万円の資産を有するものである。

以上の理由により被告会社に対し金三十三万七千二百五円及び被告両名に対し連帯して金十万円、並びにこれ等に対する本件訴状が被告等に送達せられた日の翌日より右支払ずみに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだと陳述し、

被告の主張に対し、被告会社より昭和二十六年十一月二十九日円五郎九十二屯を受領したことは認めるが、これは昭和二十六年十一月二十九日原告が退職するまでの給料未払金五万六千円に対する代物弁済として支給されたものである。なお、右円五郎は昭和二十七年二月二日原告より訴外三河耐火煉瓦株式会社に売却し同日引渡されたから、同日以後は、被告会社が訴外中村由兵衛より賃借していた前記土地を右円五郎の置場として使用していない、と述べた。

被告等訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求め、答弁として、原告主張事実中、原告が島ケ原村においてその主張の如き粘土採取業を経営していたこと、被告会社が昭和十三年三月原告より右粘土採取権を譲受け爾来昭和二十五年七月まで右粘土採取事業を経営していたこと、被告会社が右事業経営中原告を嘱託として雇入れたこと、原告が昭和二十六年十一月二十九日被告会社を退職したこと、被告会社の事務所を原告方居宅の店舗に設置したこと、そこに原告主張のごとき電話を設置したこと、被告会社が原告主張の粘土搬出道路を使用していたこと、被告会社が右粘土採取現場に砂防堰堤及び排水溝を新設したこと、被告会社が国鉄島ケ原駅前に粘土粉砕工場を経営していたこと、そしてこれを昭和二十六年十一月二十九日訴外土佐初枝に賃貸したこと、原告が同日以後右訴外人の事業を手伝うことになつたこと、被告会社が原告主張の如く訴外中村由兵衛から原告主張の土地を賃借し、昭和二十八年四月頃右賃貸借契約を合意解除したこと、及び被告会社が右島ケ原村における一切の事業を昭和二十五年七月頃廃止したことはいずれも認める。訴外土佐初枝が前記島ケ原駅前の工場を訴外中道精一に転貸した事実は不知、その余の原告主張事実はいずれも否認若しくは争う、と述べ、

抗弁として、

(1)  原告主張の粘土搬出道路は、被告会社が原告から粘土採取権を譲受ける当時、被告会社においてこれを無償で使用する旨の契約が成立したから、被告会社において右道路の使用料を支払うべき義務はない。

(2)  原告が砂防堰堤及び排水溝の敷地を買入れたことは否認するが、仮りに原告が自己の出捐を以つてこれを買入れたとするも、右土地は被告会社において無償で使用する旨の諒解が原告と被告会社との間に成立していたものであるから被告会社が原告に対し右土地の使用料を支払うべき義務はない。

(3)  被告会社が中村由兵衛より賃借した土地の賃料は昭和二十六年度分までは被告会社において支払つた。昭和二十七年以降は原告が円五郎の置場として右土地を使用していたから、同年度分以降の賃料は原告において支払うのが当然である。

(4)  原告主張の電話は、被告会社と訴外土佐初枝との契約により昭和二十六年十二月以降は原告方店舗に設置したまま右訴外人において使用することとなり、原告もこれを承認していた。従つてその後の電話料は右訴外人において支払うべきであり、又現に同訴外人は昭和二十六年十二月分の電話料を支払つたのであるが、その後原告が右訴外人の電話使用を妨害したため、爾来同訴外人は右電話の使用を中止し、従つて電話料の支払もなさなくなつた。原告が右電話料の支払をなした事実は被告会社において争うものであるが、仮りに原告がその主張の如く電話料を支払つたとしても、前記の如き事情であるから、被告会社がこれを原告に償還すべき義務はない。

(5)  被告会社が事務所として使用していた原告方店舗は昭和二十五年七月、被告会社が島ケ原村における一切の事業を廃止すると同時に事務所を閉鎖し、同所に掲げてあつた看板も撤去して、右店舗を原告に明渡したから、被告会社がその後の使用料或は損害金を原告に支払うべき道理はない。尤も右店舗に設置した電話設備はそのまま存置しておいたが、これは前述の如く原告の承諾の下に訴外土佐初枝をして使用せしめるためであつた。

(6)  以上の如く被告会社は原告主張の権利をすべて否認するのであるが、仮りに被告会社に何等かの債務があつたとしても被告会社は昭和二十六年十一月二十九日、原告が種々無理難題を云うので已むを得ず原告に対し時価金五万円に相当する原料円五郎九十二屯を贈与して、これを以つて原告と被告会社間の一切の紛争を解決したから、これによつて右債務もすべて消滅したものである。

と述べた。

<立証省略>

理由

第一、原告主張の土地使用料の請求について、

(イ)  粘土搬出専用道路の使用料請求の分。

原告が三重県阿山郡島ケ原村四ツ辻地内に有する粘土採取権を、昭和十三年三月三十日被告会社に譲渡したこと、被告会社が爾来昭和二十五年七月に至るまで右四ツ辻において粘土採取事業を経営したこと、被告会社がその粘土を搬出するために右期間中原告主張の粘土搬出専用道路を使用したことはいずれも本件当事者間に争いがない。

原告本人尋問(第一回)の結果及びこれにより成立を認め得る甲第五号証の一、二、証人吉川富三郎の証言等を総合すれば右粘土搬出専用道路は、原告の亡夫山田初三郎が訴外吉川富三郎及び同土森伴七より道路敷地を買取つて(但し粘土採取事業が終つて道路が不用になつた時は無償で旧所有者に返還する約)敷設したものであることが認められ、成立に争いのない甲第六十三号証及び原告本人尋問(第一回)の結果を総合すれば原告は亡夫山田初三郎より右道路の所有権を承継したことが認められる。(右証人吉川富三郎の証言中、右道路敷地は山田初三郎に賃貸したものである旨の供述はたやすく措信し難い)。

証人綿谷清及び原告本人(第一回)は右粘土採取権を売買する際、右粘土搬出専用道路も共に売買する旨の約定はなかつた旨供述するから、右専用道路を粘土採取権と共に売買するということは当事者間に明示的には表示せられていなかつたものと思われる。然し一方右粘土採取権を売買する際、右専用道路は特にこれを除外する旨の特約がなされたことを認めるに足る証拠も何等存在しない。而して成立に争いのない甲第六号証によれば、原告は右粘土採取権を被告会社に売渡す際、右粘土採堀に関する一切の権利を被告会社に譲渡することを約したことが認められるが、粘土搬出道路は粘土採取事業に欠くべからざるものであり、粘土採取権に従たる権利であるから、当事者が特にこれを除外する旨の意志を表示しない限り、民法第八十七条第二項の類推適用により、原告が被告会社に粘土採取権を譲渡した際、右専用道路に関する権利も共に被告会社に移転したものと解するのが相当である。従つて原告が右専用道路の所有権が今猶原告にあることを前提として、被告会社に対してその使用料を請求するものとすればそれは失当であるといわなければならない。

然し原告は、道路使用料の支払については原告と被告会社間に契約が成立したと主張するから、原告が本訴において請求する使用料というのは、本来の意味における使用料(土地使用者が土地所有者に対してその土地使用の対価として支払うべき金員)のみでなく、右契約に基く使用料の意味も含まれているものと解し得るを以つて、以下右契約上の使用料の点について判断する。

証人綿谷清の証言及び原告本人尋問(第一回)の結果を総合すれば、右綿谷清は被告会社の代表者として、原告に対し、右専用道路の使用については、被告会社より原告に対し応分の使用料を支払う旨約定したことが認められる。然しここにいう使用料というのは、法律的に見れば本来の意味における使用料でないことは、前記説明の如く、本件専用道路に関する権利は粘土採取権と共に被告会社に移転しているのであるから、被告会社が自己の所有物について使用料を支払うということは一般にあり得ないことによつて明らかである。従つて右契約による使用料というのは、被告会社が好意的に道路敷設に要した費用の一部を原告に償還するという程度の意味であつたと解すべきであり、又右証人綿谷清の証言によつても右趣旨のことが窺われる。然らば右約定による使用料は一種の贈与であると解すべきであり、従つてその額も当事者の合意によるか又は被告会社の決定する額によつて定まるものというべきであるが、原告と被告会社との間に右使用料の額について合意が成立していないことは原告の自認するところであり、又被告会社が右使用料として支払うべき金額を決定してこれを原告に通知したことを認めるに足る証拠もない。然らば、被告会社としては右使用料の額を決定したうえこれを原告に支払うべき義務があるものといわなければならない。

被告会社は、仮定抗弁として、右専用道路の使用料に関する問題は、被告会社が昭和二十六年十一月二十九日原告に対し時価金五万円に相当する原料円五郎九十二屯を交付し一切解決した旨主張し、証人野間田節治及び被告糟谷集次は右主張に副うような供述をしているが、成立に争いのない乙第一、二号証及び原告本人尋問(第一回)の結果を総合すれば、被告会社主張の円五郎の給付は、原告が被告会社に対し昭和二十五年八月より昭和二十六年九月分までの生活費及び通信、筆墨等の諸費用金五万六千円(一ケ月金四千円の割合で十四ケ月分)を請求したに対し、昭和二十六年十一月二十九日原告が被告会社に対し辞職願を提出するに当り、原告と被告会社との合意により右五万六千円の支払に代えて島ケ原駅前に存在する被告会社所有の円五郎全部を、被告会社より原告に給付したものであることが認められるから、右証人野間田節治及び被告糟谷集次本人の各供述はたやすく措信し難く、而して他に右被告会社の抗弁事実を認めるに足る証拠はないから、右抗弁はこれを採用することができない。

然らば被告会社は原告に対し前記契約上の道路使用料を支払うべき義務があるものというべきであるが、その額は前述の如く未だ確定していないのであるから、債権の目的が未確定のものとしてその効力も未発生と解すべきかというに、それでは被告会社の恣意を許す結果となつて妥当でない。よつて被告会社が使用料の額を決定せざる以上、裁判所が契約当時における当事者の意思を合理的に解釈して相当な金額を決定し、債権を有効ならしめるが相当であると思料する。(大審院大正五、三、一四録二二輯三六〇頁、同大正九、六、二四、録二六輯九二三頁)、よつてその額について案ずるに、右証人綿谷清の証言及び原告本人尋問(第一回)の結果を総合すれば、右契約当時被告会社としては、右使用料の額につき、土地の使用者が土地の所有者に支払うべき世間並の使用料を考えていたと解せられるし又被告会社としては原告の亡夫が作つた道路を使うのであるから好意的に使用料を支払う意思であつたと解せられるのであるから、被告会社が原告に支払うべき右使用料は世間並の使用料にして且つ被告会社が現実に右道路を使用していた期間だけで足ると解するのが相当である。然らばその世間並の使用料は幾らかというに、原告提出援用の全証拠(鑑定人菊岡繁雄の鑑定の結果を含む)によるも被告会社が右道路を使用していた期間中の世間並の使用料を正確に算定することは殆んど不可能である。然し右使用料の算定が不可能であるからと云つて原告の請求を棄却することも原告の保護に欠ける様に思われるので、以下当裁判所が相当と思料する額を示すことにする。鑑定人菊岡繁雄の鑑定の結果によれば島ケ原村における昭和二十五年当時の宅地の平均適正賃料は一坪につき一カ月金一円三十二銭であつたことが認められるから、当裁判所の検証の結果並びに右道路の利用価値に徴して、右道路の使用料は被告会社が右道路を使用していた期間中を通じ平均して右宅地の賃料の半額、即ち一坪につき一カ月金六十六銭を以つて相当と思料する。而して右鑑定人の鑑定の結果によれば本件道路の面積は九十三坪あることが認められ、又証人野間田節治、同北川金松の各証言及び被告糟谷集次本人尋問の結果を総合すれば、被告会社が現実に右道路を使用していた期間は昭和十三年四月より昭和十八年頃までの間約六年間であることが認められる。よつて被告会社が原告に支払うべき道路の使用料は右金六十六銭に九十三(坪)を乗じ、更にこれに七十二(月)をかけた金額、即ち金四千四百十九円(円未満切捨)が相当であると思料する。

よつて原告の本件道路使用料の請求は金四千四百十九円の限度において正当と認めてこれを認容すべきものとする。

(ロ)  堰堤及び排水溝敷地の使用料の分。

被告会社が島ケ原村四ツ辻地内の粘土採取現場に砂防堰堤及び排水溝を設置したことは本件当事者間に争いがなく、証人川森千代次、同福永久次郎、同綿谷清の各証言及び原告本人尋問(第一回)の結果を総合すれば、右堰堤及び排水溝の敷地は原告が被告会社の社員堤一市と協力して被告会社をして右堰堤及び排水溝を設置せしめるため、自ら金三百円を出捐して訴外愛宕講より購入したものであることが認められる。然し右堰堤及び排水溝の使用関係につき原告と被告会社との間に明確な契約が成立したことを認めるに足る証拠は何等存在しない。従つて右敷地は原告が被告会社の代理人として被告会社のために購入したのか、或は原告が自己の所有物とするために購入したのであるけれども、被告会社に賃貸したのか、それとも無償で被告会社に貸与したのか、証拠上は甚だ不明暸である。然し原告本人尋問(第一回)の結果及び証人綿谷清の証言を総合すれば原告は被告会社に対して右敷地の使用料を請求する意思を持つており、又その当時の被告会社の代表者綿谷清も右敷地に対しては相当の使用料を被告会社より原告に支払うべきであるという意思を有していたことが認められる。然らば、原告及び被告会社は、賃料については何等契約をなさなかつたけれども、互に右敷地は原告の所有であり、そして原告と被告会社間の貸借は有償であると解していたものと思われる。従つて右貸借については黙示的に賃貸借契約が成立していたものと解するを相当とする。よつて此の点に関する被告の、右敷地の貸借は無償である旨の抗弁はこれを採用し難い。

然らば右敷地の賃料は幾何であるかというに、これについては前記のごとく当事者間に明確な合意が成立していないのであるが、当事者はやはり世間並の賃料ということを念頭においていたものと解するのが相当であり、従つて右敷地の賃貸借は世間並の賃料を以つて黙示的に契約されたものと解するのが相当である、然らば世間並の賃料は如何というに、この点についても原告提出援用の全証拠(鑑定人菊岡繁雄の鑑定の結果を含む)によるも、これを正確に算定することは殆んど困難である。よつて右道路使用料の場合と同様、当裁判所が諸般の事情を総合して相当と認める額を以つて右敷地の賃料と決定する外はないと思料される。よつて右賃料の額について考察するに、右土地は現在においては堰堤及び排水溝の敷地としてしか利用価値のないものであり、原告が自らこれを使用するとか、或は他人に賃貸して賃料を得るとかのできるものではない。従つて右土地を被告会社が使用することによつて原告が蒙る損害と云えば結局本件土地を購入するに当り原告が投資した金三百円が寝ることによる損害以外にはないものといわなければならない。よつて本件土地の賃料は金三百円に対する利息相当額を以つて相当とすると解する。蓋し特別の利用価値のない物件に対する賃料(法定果実)は、その物件に投資した金銭に対する利息(法定果実)と一致すると解するのが相当であるからである。しかしてその利息は民法第四百四条により年五分を以つて相当と解する。然らば被告会社は原告に対し右土地を使用する期間中、金三百円に対する年五分の割合による賃料を支払うべき義務があるものといわなければならない。成立に争いのない甲第八号証及び原告本人尋問(第一回)の結果を総合すれば原告が右土地を購入し被告会社に堰堤及び排水溝の敷地として貸与した日は遅くとも昭和十六年三、四月頃であつたと推測される。よつて原告の右敷地に対する使用料の請求は、金三百円に対する年五分の割合による金員の昭和十六年四月より昭和二十八年六月(本訴提起当時)までの十二年三カ月分、即ち金百八十三円(円未満切捨)の限度において正当と認めこれを認容すべきものとする。尚、被告会社は右敷地の使用料問題についても、被告会社が原告に前記円五郎を給付したことによつて一切解決したように主張するが、円五郎の支給は前記認定の如く他の目的のために支給されたものであつて、本件敷地の使用料問題はこれによつては解決されていないものと解すべきであるから、被告会社の右抗弁は採用できない。

第二、原告主張の退職金の請求について。

証人野間田節治、同大原俊郎、同土佐初枝(第一回)の各証言、被告糟谷集次本人尋問の結果及び成立に争いのない乙第三ないし第五号証を総合すれば、被告会社においては昭和二十五年当時、退職者に対して退職金を支給していなかつたので、原告が退職した際にも、被告会社は原告に対し退職金を支給する旨の契約をなさなかつたが、原告が従来被告会社より月々金四千円程の給料の支給を受けていたのに、被告会社の島ケ原鉱業所の閉鎖によつてその職を失い、収入の途もなくなつたので、被告会社としては原告の立場に同情して、被告会社が昭和二十六年十一月二十九日、訴外土佐初枝に対し島ケ原村所在の工場を賃貸するに当り、賃料を一カ月金一万五千円とすべきところを特に一カ月金一万円とし、その代り原告を右訴外人の相談役に推せんし、同訴外人より相談役報酬名義で原告に対し一カ月金四千円ずつを支給するよう約定せしめたことが認められる。

然らば原告と被告会社との間に原告主張のごとき退職金支給契約が成立した訳ではないから、仮令右訴外人が右契約に違反し、原告に対し相談役報酬を支払わなかつたとしても、被告会社が原告に対し右訴外人の支払うべき金員を支払わなければならないという理由はない。よつて原告の右退職金支払の請求は失当としてこれを棄却すべきものとする。

第三、原告主張の立替金返還及びモーター附属品売買代金支払の請求について。

(イ)  土地賃料立替金請求の分。

被告会社が訴外中村由兵衛より原告主張の土地を粘土乾燥場として昭和十四年三月頃より昭和二十八年四月頃まで賃借していたことは本件当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第四十、四十一号証及び証人中村由兵衛の証言を総合すれば、原告は右訴外人に対し右土地の賃料として昭和二十六年四月十九日金一千円(昭和二十六年度分)、同年十月二十日金千円(昭和二十七年度分)を支払つたことが認められる。然らば原告は被告会社のために右賃料金二千円を立替支払つたものというべきである。被告会社は、右土地は昭和二十六年十一月二十九日以降は原告が被告会社より贈与を受けた円五郎の置場として使用していたから、同日以降の賃料は原告において支払うべきであると主張するが原告が右円五郎の贈与を受けたのは昭和二十六年十一月二十九日であるから、少くともそれ以前の賃料は原告が被告会社のために立替支払つたものであることは明らかであり又同日以後の賃料も、右土地の賃貸借の当事者は被告会社であつて原告ではないから、原告が賃料支払義務者となるべき道理はない。従つて原告が右中村由兵衛に支払つた賃料が被告会社のためにする立替払であつたことはこれを否定することができない。若し原告が昭和二十六年十一月二十九日以後において右土地を円五郎の置場として使用したために、被告会社が損害を蒙つたという事実があるならば、被告会社より原告に対しその損害賠償を請求し、その損害賠償債権と右賃料立替金債権とを対等額において相殺する外はない。然るに被告会社は原告に対し何等右損害賠償ないし相殺の主張をしていない。従つて被告会社は、原告が右土地を円五郎の置場として使用していたということを理由にして右賃料立替金の返還を拒むことを得ないものというべきである。

被告会社は、右賃料の内昭和二十六年度分は被告会社において支払ずみである旨主張し、被告糟谷集次本人はその旨供述し又成立に争いのない乙第七号証にも原告と被告会社間の昭和二十六年十月八日までの間の立替金債権関係は、同日原告が被告会社より金六千六百三十一円八十銭の支払を受けたことによつて全部清算された旨の記載があるが、然し、成立に争いのない甲第七十四号証及び原告本人尋問(第二回)の結果を総合すれば、原告は昭和二十六年四月十九日に中村由兵衛に支払つた昭和二十六年度分賃料一千円を、被告会社に報告することを失念していたため、昭和二十六年十月八日の清算の際にも、被告会社からその立替金千円の返還を受けないでしまつたことが認められる。従つて右被告糟谷集次本人の供述によるも又乙第七号証によるも被告会社が昭和二十六年度分賃料を支払つたことを認めるに足らない。而して他に被告会社が右賃料を支払つたことを認めるに足る証拠はない。よつて被告会社の右抗弁はこれを採用することができない。なお被告会社は右賃料の立替金についても被告会社から原告に対し円五郎九十二屯を給付することによつて一切解決したと主張するものの如くであり、被告糟谷集次本人は、被告会社が原告に円五郎を支給した際、原告は右昭和二十七年度分賃料の立替金債権を放棄した旨供述するが右供述は原告本人尋問(第二回)の結果及び前記乙第一、二号証の記載に対比したやすく措信し難い。而して他に右賃料立替金債権が右円五郎の支給によつて解決されたことを認めるに足る証拠はない。よつて被告会社の右抗弁もこれを採用するに由がない。

而して成立に争いのない乙第二号証によれば原告が右賃料を立替支払つた昭和二十六年四月十九日及び同年十月二十日当時は未だ原告と被告会社との間に雇傭契約が存続していたことが認められるから、原告は民法第六百五十条第一項により被告会社に対し右賃料立替金二千円の返還を請求する権利があるものというベきである。よつて原告の右賃料立替金の返還請求はすべて正当としてこれを認容すべきものとする。

(ロ)  電話料立替金請求の分。

島ケ原郵便局第十三番の電話が被告会社の所有であることは本件当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第二十八ないし第三十六号証によれば、原告がその主張のごとく昭和二十六年十二月分より昭和二十七年九月分までの電話料金六千八百五円を支払つたことが認められるが、証人土佐初枝(第一回)の証言によれば同人は昭和二十六年十二月か或は昭和二十七年一月頃原告に対して一カ月分の電話料を支払つたことが認められるから、その金額は証拠上明らかでないが、これを昭和二十六年十二月分の電話料とすると、原告が現実に自己の出捐を以つて支払つた電話料は、右金六千八百五円から昭和二十六年十二月分の電話料八百四十五円を差引いた残金五千九百六十円ということになる。原告本人(第一回)は土佐初枝から受領した電話料は昭和二十六年十一月分であつた旨供述するが、土佐初枝が昭和二十六年十一月分の電話料を支払う道理がないことは、前記のごとく土佐初枝が被告会社から工場並びに本件電話を賃借して事業を経営するようになつたのは、昭和二十六年十一月二十九日以後のことである点から云つて明らかである。従つて原告本人の右供述は措信し難い。

被告会社は、右電話料は訴外土佐初枝において支払うべきものであつて、被告会社において支払うべき義務はないと主張するが、成程、証人大原俊郎、同土佐初枝(第一、二回)の各証言及び被告糟谷集次本人尋問の結果を総合すれば、被告会社と土佐初枝との間の契約においては、右電話料は土佐初枝において支払う旨の契約が成立していたことが認められるけれども、右土佐初枝の証言によれば、同人は昭和二十六年十二月か昭和二十七年一月頃、ただ一回原告に電話料を交付したことがあるだけでその後は電話料の支払をなさなかつたことが認められるから、若し原告において電話料の立替支払をなさなければ被告会社は電話加入権を喪失するに至る虞があることは明らかであり、従つて原告が右電話料の立替支払をなしたことは、被告会社の電話加入権を保存するために必要であつたものというべきである。而して原告が右電話料の支払をなしたのは原告と被告会社間の雇傭契約が解約された後であることが明らかであるから、原告の右電話料立替払の行為は事務管理であるというべくしかしてその事務管理が被告会社の意思に反するものと認めるに足る証拠はないから、原告は民法第七百二条第一項により被告会社に対し右電話料立替金五千九百六十円の償還を請求する権利があるものというべきである。よつて原告の右電話料立替金支払の請求については金五千九百六十円の限度においてこれを正当として認容すべきものとする。

(ハ)  原告主張のモーター附属品の売買代金請求の分。

原告が被告会社に対してその主張の如きモーター附属品を売却した事実を認めるに足る証拠はない。甲第二十六号証の一には原告の主張に副うような記載があるが、これは原告本人(第一、二回)尋問の結果によると、原告が何かの錯誤によつて記載したものであつて、真実は、原告がその主張のごときモーター附属品を被告会社に売渡した事実はないことが認められる。よつて原告の右モーター附属品の売買代金の請求は失当としてこれを棄却すべきものとする。

第四、原告主張の店舗使用妨害による損害賠償の請求について。

被告会社は昭和十三年四月より原告現住家屋の店舗を事務所として使用していたが、昭和二十五年七月島ケ原村における一切の事業を廃止すると同時に、右事務所を閉鎖したことは、本件当事者間に争いのないところであるから、右事務所閉鎖の時原告と被告会社間の右店舗に対する貸借関係は黙示的に合意解除されたものと解すべきであるところ、当裁判所の検証の結果によれば、検証当日の昭和三十年四月七日まで、右店舗の入口には被告会社島ケ原鉱業所の看板が、又室内壁には企業許可報告書受理証入りの額がそれぞれ掲げられており、更に右室内の一隅には被告会社所有の幅〇、七五米、奥行〇、七米、高さ一、八〇米の電話ボツクスが設置せられていたことが認められる。

然し証人土佐初枝(第一回)、原告本人(第一回)及び被告糟谷集次本人の各供述を総合すれば、昭和二十六年十一月二十九日、原告、被告会社及び訴外土佐初枝との間に、同日以降は同訴外人が右店舗及び電話を使用して事業を経営すること、原告は右店舗において同訴外人の事業を手伝うことの契約が成立したことが認められるから、その後においては被告会社が右物件を撤去しなかつたとしても、原告に対する関係において損害賠償義務を負担するものではないといわなければならない。蓋し右店舗にその後も被告会社の看板或は額が存在することによつて損害を蒙る者があるとすれば、それは訴外土佐初枝であつて原告ではないからである。

然し、証人土佐初枝(第一回)の証言によれば、同人は昭和二十七年一月限りで右店舗及び電話の使用をやめ、原告に対しても事業の手伝を拒否し同年二月以降は原告に対する報酬も支払わなかつたことが認められ、そしてこれに対し原告及び被告会社が異議を述べたことを認めるに足る証拠がないから、右訴外人と原告及び被告会社間の店舗及び電話の貸借関係は黙示的合意により昭和二十七年一月限り終了したものと解すべきである。然らば被告会社は昭和二十七年二月以降は右店舗に存在する看板、額及び電話ボツクスを撤去し、これを原状に復して原告に明渡すべき義務があるものといわなければならない。従つて被告会社が右物件を撤去することを怠り、因つて原告に損害を生ぜしめたとすれば、被告会社は債務不履行による損害賠償として原告に対しその損害を賠償すべき義務があることは当然である。よつて右物件が存在することによつて原告が幾何の損害を蒙つたかというに、原告は昭和二十七年二月以降は右事務所を他に賃貸せんと欲せば必ずしも不可能ではないのであり、又原告自身が使用する分においては、右看板や額があつたからとて使用上些して妨げになるとは思われない。又他人に右店舗を賃貸するために看板や額が邪魔になるとすればこれを撤去することも事実上些して困難なことではない。原告本人(第二回)は昭和二十八、九年頃第三者が右店舗を借りに来たが、右店舗になお被告会社の看板がかかつていたので、右店舗を賃貸することができなかつた旨供述するが、それは原告が被告会社との紛争を有利に解決するために依怙地に左様な態度に出でたものとしか思われない。被告会社は既に右事務所を閉鎖している以上、原告が看板や額を取外して店舗を他に賃貸したとしても、被告会社がこれに対して異議を云うとは思われない。これは被告糟谷集次本人尋問の結果に徴しても認め得るところである。然らば原告が右物件の存在を理由として他人に右店舗を賃貸することを拒否していたとすれば、それは原告にも過失があり、その過失は被告会社の責任を判断する上において斟酌せらるべきことである。従つて右看板や額が存在していたことによつて、原告は感情的には兎も角として、経済的には金銭に評価できる程の損害は蒙つていないものといわなければならない。然し電話ボツクスは小さいながらも或る程度の空間を占拠するものであるから、これが存在することによつて原告がその部分の使用を妨げられ、幾何かの損害を蒙ることはこれを肯認しなければならない。よつて電話ボツクスの存在による原告の損害は幾何かというに、これを算定するに足る証拠もなくその正確な算定は甚だ困難である。従つてこれについても当裁判所が諸般の事情を総合して相当と認める額を以つてその損害額と決定する外はない。鑑定人菊岡繁雄の鑑定の結果によれば原告現住家屋は建坪二十坪で昭和二十七年当時における適正賃料は一カ年金千六百九十七円であることが認められる。この事実と当裁判所の検証の結果によつて認められる電話ボツクスの大きさ及びその存在位置等を総合すれば原告が右電話ボツクスの存在によつて建物使用上蒙る損害は平均して一カ年金二百円を以つて相当と認める。然らば被告会社は昭和二十七年二月より昭和二十八年五月三十一日(本訴提起の前月)まで一年四カ月分、合計金二百六十六円(円未満切捨)を原告に支払うべき義務があるものというべきである。被告会社は、仮りに被告会社に右事務所妨害による損害賠償義務ありとするも、これも前記円五郎を原告に支給したことによつて一切解決ずみであると主張するが、被告会社が円五郎を原告に給付したのは昭和二十六年十一月二十九日であり、本件損害賠償義務の発生事実は昭和二十七年二月以降のことであるから、右円五郎の給付によつて本件損害賠償義務が解決せられていないことは、その日時の点から云つて極めて明白である。よつて被告会社の右抗弁はこれを採用し難い。

以上の理由により、原告の本件店舗使用妨害による損害賠償の請求は金二百六十六円の限度において正当と認めこれを認容すべきものとする。

第五、原告の被告糟谷集次及び被告会社に対する慰藉料請求について。

原告本人尋問(第一、二回)の結果によれば被告糟谷集次は昭和二十六年十一月二十八日午後四時頃原告現住家屋奥四畳半の間において飲酒したうえ原告に対し猥褻行為に出でた事実があることが認められるが、原告主張の如き強姦未遂の事実は認められない。この点に関する証人土佐初枝(第二回)及び被告糟谷集次本人の各供述は原告本人尋問(第一、二回)の結果及び成立に争いのない甲第七十三号証に対比してたやすく措信し難い。然らば原告は被告糟谷集次の右行為により侮辱せられ精神的苦痛を蒙つたものというべきであり、従つて被告糟谷集次は右不法行為に基く損害賠償として原告の精神的苦痛を慰藉するに足るだけの金員を原告に支払うべき義務があるものといわなければならない。よつてその慰藉料の額について案ずるに、原告本人尋問(第一回)、の結果によつて認められる、原告が右事件発生当時満六十一才の寡婦であつたこと、特別の社会的地位はないこと、及び成立に争いのない甲第一号証によつて認められる被告糟谷集次がその当時被告会社の代表取締役であつた事実等を総合すれば、右慰藉料の額は金五千円を以つて相当と認める。

被告糟谷集次の右不法行為が、被告会社の業務執行につきなされたものであることを認めるに足る証拠はない。

然らば原告の右慰藉料請求は被告糟谷集次に対し金五千円の支払を求める限度において正当としてこれを認容すべきも、その余の部分及び被告会社に対して請求する部分は失当としてこれを棄却すべきものとする。

第六、結論

以上の理由によつて、原告の本訴請求中、被告会社に対して金一万二千八百二十八円及びこれに対する本件訴状が被告会社に送達せられた日の翌日なること記録上明らかである昭和二十八年六月二十日以降右支払ずみに至るまで年五分の割合による遅延損害金を請求する部分及び被告糟谷集次に対し金五千円及びこれに対する本件訴状が同被告に送達せられたる日の翌日であること記録上明らかである昭和二十八年六月二十日以降右支払ずみに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分はいずれもこれを正当として認容すべきも、その余の部分は失当としてこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条本文、第九十三条第一項但書を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用したうえ主文のとおり判決する。

(裁判官 松本重美 西川豊長 喜多佐久次)

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